過激なレプリカ

模造品づくりにフルスロットル

八乙女光が「ひかにゃん」になるまで(はじめに)~3年前に書いた手紙~

2012年2月

拝啓 八乙女光
 
 こんにちは。お元気ですか?私は…と続ける折、夏ならば「ひまわりのメロディ」や「サマー×サマー×サマー」、冬ならば「スノウソング」といった貴方の楽曲を交え季節感のある粋なご挨拶を、と思ったのですが、「HARU・NATSU・AKI・FUYU」私は貴方のことばかり考えています、というご挨拶が一番しっくり来ました。いつも咲き誇って下さる貴方のお陰で、私は元気です。
 さて、この度、私が貴方を愛する理由について、言葉を綴る運びとなりました。正直なところ、書きたいか書きたくないかでいえば、果てしなく後者に近い前者であります。それは、貴方への愛を言葉という形に上手くおさめられないからです。元々言葉を綴るのは好きですが、愛を言葉に変換する作業は苦手です。未熟な私の技術では、お前の愛はこの程度のものかと自問自答するくらい陳腐なものしか出来上がらず、私はいつも逃げてしまいがちなのです。究極「可愛い」と「好き」さえあれば十分だと思うこともあります。だけど、グルメロケやコラムの「美味しい」だけでは、食べ物の美味しさが伝わらず、他の食べ物、他のお店の同じ食べ物と比較出来ないように、私も、世界にただ一人しか居ない八乙女光をオリジナルの言葉で表現したい、と出過ぎた欲求が湧いてしまうのです。そして、SNSやインターネット上での日記で貴方への愛を綴る度、私の愛はこんなもんじゃない!もっと胸の内の炎を正確に描写したい!と、欲求はどんどん膨らんでいきます。ですが、その欲求は向上心であり、常に上を上を目指す貴方の影響を受けているのかもしれない(或いはその逆で元々の私の性格で、同じ部分を持った貴方に惹かれ続けているのかもしれない)と思うと、その悔しさが愛おしく、それ自体がまた愛であるような気もします。(グルメロケといえば、最近コメントがめきめき上達されていますね。偉そうな言い方になりますが、成長を拝見出来、嬉しい限りです)


 本題に入る前に、貴方の呼称について注釈を入れます。八乙女光、という生まれながらにしてスター性を感じられる珍しい名前、うちわを作るのが楽でいいねと揶揄される漢字のシンプルさはまるで無駄に飾ろうとしないストイックな性格を表すようで、自身が発音すれば「やぁとめひかーです!」と舌っ足らずな魅力を最大限引き出せる音が並ぶ(馬鹿にしているわけではございません)、そんな八乙女光という名前、その名前を呼ぶだけで、私には、ラブソングのバラードを一曲書き殴りたくなるほどの愛が溢れます。ですが、いちいち長いので普段使いの「光くん」とお呼びさせて頂きますね。光くん。テレビや雑誌で貴方を鑑賞していた初めの内はただ光、と勝手知ったる友人のように気軽に呼び捨てにしていたのですが、頻繁にコンサートやテレビ番組の収録で生身の貴方を拝見するたび、貴方がこの世にしっかりと存在する人であることを実感し、知り合いでも何でもない、一方的にただ知っているだけの私が貴方を呼び捨てで呼ぶ権利はないと感じ、いつからか、主に「くん」という敬称でお呼びしております。


 光くん。【人がギャップに弱い】、だなんてあらゆる娯楽雑誌で何度も何度も取り上げられていますよね。その「人」が日本人だか、人間だか、細かい定義は違ったりするけど、飽きずに謳われ続けるのは、そのテーマが多くの共感を呼んでいるからであること、わざわざ説明するまでもありません。心理学的な根拠を知らないけれど、私もまた、その定説に大きく共感を覚える「人」。大衆の一人です。
 私が世界でただ一人「自担」と呼ぶ光くんに感じる最大の魅力はその「ギャップ」です。(オリジナルの言葉で、という夢を大きく語った後、俗説を用いることがもう既にギャップですね、お許しください)
 ギャップには必要なものが二つあります。それは「ズレ」を作る「肯定」と「否定」です。私にとってその「肯定」は「パブリックイメージ」。そして、その肯定を自分なりに集めた情報を組み合わせた理論で「否定」し、「ズレ」を生み出すことが、私の光くんの愛し方です。
 主にパブリックイメージとなっているのは「かっこいい八乙女光」です。男性アイドルは女性ファンの擬似恋愛対象となることで、人気を博し、ビジネスの価値をつくっていく仕事であると思うので、やはり「かっこいい」は避けてはいけないイメージですよね。私は「可愛い八乙女光」をもって、その肯定を否定しています。可愛い光くんが大好きなのです。更に、そのことに対して無自覚な光くんが好きです。つまり、「パブリックイメージ」だけでなく、自身でもかっこいいと思っている光くん。までが肯定。セルフプロデュースで「俺は実は可愛いんです」という「ズレ」を生み出すのではなく、ファン自身が、私自身が「ズレ」を生み出す舵を取ります。

 

一気に畳み掛けましたが、分かってもらえましたか?具体的に、「かっこいい光くん」を「可愛い光くん」で否定してみますね。

 

かっこいい八乙女光(1.頭がいい/2.面白い/3.男らしい)
可愛い八乙女光(1.記憶力が悪い/2.シャイ/3.繊細)

 

1.
【肯定】バラエティ番組で、お笑い芸人顔負けのボケやツッコミ、なぞかけをこなし、頭がキレる
【否定】コンサートでグッピーを飼っている薮宏太に「コッピー」というあだ名をつけるも、直後に「何でコッピーになったんだっけ?」と忘却、メンバーに「光くんがつけたんでしょ」「もっと思い入れ持ってよ」と詰められる/コンサートの新曲振付講座で歌詞・振付を大胆に間違え、メンバーに笑われる/シングルメイキング映像にて、「元旦に撮影したPVといえばOVER」と「瞳のスクリーン」と勘違いしメンバーにツッコまれる

2.
【肯定】MCや雑誌で変顔をしたり、コンサートMCで積極的にボケる
【否定】レストランで店員さんを呼ぶのが恥ずかしく、頑張るも小声にしかならず、メンバーに呼んでもらうよう頼む/「本当の自分が出ちゃうと、多分恥ずかしくて何も出来ない」からわざとキャラクターを作り上げているとメンバーにラジオで指摘される

3.
【肯定】シャウトを任される曲が多かったり、頼れる兄貴的存在
【否定】注射が苦手で打った後は「今日この後何も出来ない」/飛行機が苦手で飛び立つときの顔が死んでる/猫が苦手で、撮影用に借りてきた子ネコを発見してしばらくスタジオの隅っこで固まっている/泳げなくてシャワーで顔に水がかかるのも嫌/健康オタクだがすぐに風邪を引く/「部屋の模様替えをするといい」という占いを見て「今から出かけるのにどうしよう」と悩む

 

 ああ!改めてまとめると!光くん!光くんってすっごく可愛いですね!!こんなものをつきつけたら、きっと光くんは顔を少し赤らめて「俺そういうとこあるかもねー」って恥ずかしそうに微笑むんでしょうね。あぁ、可愛いです。すごく可愛いです。今私は、可愛いという言葉の最上級を発明したい。

 

 ところが、こんな幸せな生活を送っていた私に初めての危機が訪れました。
 2011年夏のドラマ「美男ですね」です。
 同じジャニーズ共演者メンバーがクールな役・優しい役に抜擢されたのに対し、光くんは、可愛い役。監督から「普通にしていたら可愛くなりすぎる顔」と言われたことを雑誌でお話しされていましたね。可愛い光くんに可愛いことをやって欲しい!そう願っていたはずの私が、第一報を聞いたときは、顔面蒼白でした。「何故、光くんが可愛いとバレたんだろう。秘密にしていたのに」。
 その発表の前後のコンサートで、役作りの第一歩として、金髪にする前に、まず髪をばっさり短く切って新しい髪形で登場されたのを覚えていますか?(忘れていると思いますが)4年ほど担当をさせて頂いておりますが、その髪型は、今まで拝見した光くんの中で、群を抜いて可愛かったのです。光担歴の中で、間違いなくナンバーワンの可愛いビジュアルでした。絶望しました。もう、この可愛さは隠せない、と。頼むからブサイクになって、お願い、と祈りましたが、勿論その願いは届きませんでした。MCで、髪を切った話題になると、お客さんから「可愛いー!!」と黄色い声がまとまって会場に響きました。まるで、テレビ番組の前説で練習したかのようなまとまりのある大きな声でした。そのまとまりは、正に「新しいパブリックイメージの創出」を知らせていました。

 そう、これが、ギャップを愛する私の最大の難しさなのです。
 「可愛い光くん」が真実であると信じて突き進みたいけれど、「可愛い」が「肯定」になってしまっては、意味がないのです。逆説でなければ、ギャップではありません。
「可愛い」部分をストレートに愛しているのではなく「かっこいいけど実は可愛い」というひねくれた愛し方をしたいのは、「実は可愛い」という情報が、自分の手で拾い集めたものだからです。自分の手で自分が正しいと思う光くんを構成していきたい。それは、優越感とも独占欲とも呼ばれるものでしょう。私は「かっこいい光くん」を否定して壊すと見せかけて、実はその一方守られて欲しい、ずっと壊せないパブリックイメージとして存在し続けて欲しいのです。

 この、パラドックスを孕んだ難しい問題は、光くんが今後どんな自分を発信していくかに大きく左右されるでしょう。光くん、今後も、自分のことを「かっこいい」と思い続け、アピールし続けてください。お願いします。そもそも、男性アイドルの目指す姿として、光くんも、かっこいいと思われたいはずですよね。お互い、利益のあることだと思いませんか?Win-Winの関係を目指しましょう。
 私は大丈夫です。どんな小さな「可愛い」でも拾い上げて、ズレを勝手に提唱するので、私のことは心配しないでください。光くんは、ただ、「かっこいい」を目指して下さればいいのです。
 

 前髪を短くして下ろすと、可愛いのがバレます。今すぐ伸ばして左右にお分け下さい。最大に可愛さが発揮されてしまうポンパドールや前髪で作るちょんまげ等は最も危険ですので、私たちにお見せ下さるのは年に一度程度におさめて頂きますよう、お願いします。照れると、可愛いのがバレます。堂々としていてください。メンバーがラジオや雑誌でちらっと暴露する程度にして頂ければ、そのメンバーのファンは気にしないので、丁度いい塩梅かと存じます。繊細な部分を見せられると、要らぬ母性に訴えかけてしまい、可愛いのがバレます。そんなに心配しなくても、お母様やメンバーがしっかりしているので大丈夫です。安心してください。

 既にお気付きかもしれませんが、これはファンレターでもなければ、ラブレターでもありません。嘆願書です。署名が必要ならば集めますので、何卒、何卒、宜しくお願い致します。
 最後に、光くん、こんな愛し方でごめんなさい。謝罪をさせてください。だけど、こんな愛し方だけど、私は光くんのことを、HARU・NATSU・AKI・FUYU、世界の誰よりも愛しています。


敬具

 

---------------------------------------------------------------------

 

突然この背筋が凍るような気持ち悪い手紙は何なんだと不気味に思われたかもしれませんが、これは本人に実際出した手紙ではもちろん、もちろん、もちろんなく、2012年春、「少年コレクション」というジャニヲタ文芸同人誌*1に掲載したもの。この冊子はテーマが「自担」だったので、光くんに、そのとき思っていたことを素直に書いた文章です。

あれから3年。

この想いがすっかりタイムカプセルになってしまうくらい、光くんをとりまく「可愛い」は変わりました。「ひかにゃん」と呼ばれるほどに。
いつ変わったのか、なぜ変わったのか、どう変わったのか。
私の目から見た3年間の光くんの変化を、これから全3回にわたってお送りします。

 

★予告

八乙女光が「ひかにゃん」になるまで(前)~ひかにゃんの定義~

「ひかにゃん」という言葉の意味、いつから「ひかにゃん」という言葉が浸透したか、という前提のお話と、守りたかったギャップについて。

 

八乙女光が「ひかにゃん」になるまで(中)~ひかにゃん誕生の歴史~

一番のボリュームゾーンかつコア部分です。3年間の雑誌やコンサートの発言を資料に、光くんの変化を追いかけました。

 

八乙女光が「ひかにゃん」になるまで(後)~アイドルヲタクから、タレントファンへ~

現場仕事からメディア仕事がメインになったHey!Say!JUMPが「みんなのもの」になっていく環境の変化と、これからの展望。

 

相当な長丁場になりますが、光くん本人の発言をたくさん取り上げたのは(中)なので、(中)だけ読んでもらえればタイトルのアンサーとして消化出来るかと。(前)は説明文で、(後)は個人的な見解、持論。近いうちにUPします。