過激なレプリカ

模造品づくりにフルスロットル

「転機なんていらない」#わたしの転機

 わたしは、さっかになるねん。

さっかーじゃなくてさっか。

さっかってわかる?ほんをかくひとのことやで!

 

3歳か4歳の頃、私が初めて口にした夢は「作家」だったらしい。

絵本を読むのが好きな子供だったから、単純にそれを作る人になりたいというシンプルな思考でたどり着いた夢だと思う。

物心ついた頃の記憶なので「らしい」「思う」というレベルなのだが、「作家になりたい」という夢に纏わる周囲へのトーク台本はしっかりと覚えている。幼稚園内の友達に作家と言ったら必ずサッカー?と聞かれていたので、違うよと否定して作家とはなんぞやと解説をしていた。

皆が知らない職業を目指している自分に完全に酔っていた記憶ははっきりある。

幼稚園児にして中2病、ドヤ顔を覚えるには早すぎる。センセーショナルなませ方だ。

 

同年代の友達も、大人も「作家になりたい!」という私に感嘆の声や驚きをたっぷり浴びせてくれて「作家になりたい私」に陶酔する自意識は増長していく。

そうしていつしか自意識を超え「作家になりたい」と思わない自分は世界のどこにもいなくなった。

 

作家、と言っても。

小説家になりたいとか。

構成作家になりたいとか。

記者になりたいとか。 

 

ちょっとぶれたりちょっとずれたりしながら、厳密な意味での作家と離れたりしながら、でもずっと「文章に携わる人になりたい」という軸が揺れることはなかった。

 

大学時代は新聞部に入部し、4年生のときに編集長を務めた。
年6回の定期発刊に加え、 野球部が優勝すれば徹夜で記事を上げて号外を配布し、学園祭のときは全てのプログラムの取材原稿をチェックしなければ いけないため、毎日朝8時から夜23時まで部室で校正をした。
まごうことなき「ブラック企業」 だと烙印を押されそうな部活生活。これを給料などの金銭授受一切なしでやっていた当時の自分を社畜エンジェルというあだ名を呼んであげたい。当時の私は「これドラマとか漫画で見たやつだ!」と、ままごとかもしれないが「文章に関わる仕事」に少しでも関われたことが嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。

充実感でいっぱいで、 さらに「文章に関わること」 への憧れがはっきりとした目標になった4年間だった。

 

「やっぱり私にはこの夢しかない!」

就職活動でも自信満々で文章に関われる職業を目指し、内定先には総合職で入社が決まったため、営業になっても大丈夫?と人事に念を押されたが「ブスなので売れる自信がありません」とか何とか適当な詭弁をふるって、クリエイティブ系の部署に配属が決まった。

 

現在、入社して早や10年以上経った今も、私はずっと文章に関わる仕事を続けさせてもらっている。

もちろんその中で、デザインに寄ったり、進行管理に寄ったり、仕事内容は少しずつ変化してきたが、真ん中の軸は一度もぶれていない。

そしてこれからも絶対に変わらない。

 

初恋は実らないという。

厳密に言えば「作家」になれたわけではないので、その通りかもしれない。

だけど私はこの初恋を、最後の恋にできる自信がある。

「文章に関わる」という仕事を、ずーっと愛し続けるのだ。

 

なんて、3、4歳のときと同じ自意識に酔っているだけなのかもしれないけれど、でも。

 

だから私は、転機なんていらない。